フィリピン童貞

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今回は私がどのようにしてフィリピンと関わりだしたのかを書いてみたい。

日本語ボランティア教室

私は2009年から東京のとあるボランティア教室で外国人に日本語を教えていた。

こう書くとボランティア精神溢れる人と思われるかもしれないが、全くそんな事はない。

私は30代前半に香港及び広東省に住む機会があり、北京語を話せるようになっていた。

しかし、帰国してしばらく経過し、せっかく覚えた北京語を忘れ気味だったので、台湾人の友達でも作りたいと思ってその教室に参加していた。

生徒さんはアジアを中心に各国から来ている。

毎回台湾人と話せるわけでもなく、いろんな国の人に教えることになる。

 

そんなある日、フィリピン人に日本語を教えていたところ、英語学習の話しになり、「フィリピンの大学なら格安で英語を勉強できますよ」と教えてもらった。

私は20代の頃より英語を勉強しては挫折しての繰り返しだった。

北京語は話せても英語でまともな会話は不能。

英語も話せるようになりたいと切望していた。

 

そのフィリピン人いわく、フィリピンの大学なら年間20万円もあれば十分だという。

なんという破格。。

当時の私は38歳。

この歳で若者に交じっての大学生活はきつい。。 が、年間20万円は魅力。

さらなる情報をと、ネットで調べたところ、語学学校があることが判った。

セブ島英語留学

今ではすっかりメジャーになったフィリピン英語留学。

当時はまだまだマイナーだった。

フィリピンで英語留学。。。

当時の私にとってフィリピン絡みと言えば、その語学学校で教えたフィリピン人が初で、フィリピンパブにすら行ったことがない。

フィリピンには全く関わったことがない。言ってみれば、フィリピン童貞。

 

そこで、フィリピン留学についていろんなサイトを調べてみた。

留学を教えてくれたフィリピン人も、留学紹介サイトでも、

”フィリピンは長い間米国の植民地だったので、国民みんなが英語を話せる”と豪語していた。

が、

香港を知っている私としてはそんな話しを簡単に信じることはできない。

香港も長年英国の植民地でみんな英語を話せると聞いていた。

しかし、実際のところ一般人が話すのは広東語だけ。

タクシー運転手などもなかなか英語が通じる人は少ない。

 

結局、英語ができるのはビジネスエリート層のみだった。

そこで、フィリピン留学を決める前に、オンラインスクールを試してみた。

すると、さすがに先生だからか、なかなかの英語を話す。

 

ちょっと上から目線で書いてしまったが、実際のところ当時の私にとって、その流暢な英語は聞き取れず、「香港よりはいいかも!?」 という感触。

いくつかのオンラインスクールを試してみて、最終的にセブ島への留学を決意した。

留学の期間としては2010年の10月から半年間。

やはりこの歳で若い大学生達に囲まれるのはキツイので、大学生が少ないであろう、夏休みが終わった頃をチョイスした。

そんなこんなで、フィリピン童貞の私が、フィリピンへどっぷりと浸かっていく第一歩を踏み出したのだった。

 

 

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